赤羽橋の歩道上に、1~2年ほど前から、ちょっと気になるホームレスがいる。
雨の日は、赤羽橋の首都高の高架下。会社の行き帰りに通ると、週の半分以上はどちらかにいる。休日にもいる。
男性で、年齢は30代半ばくらいかな? 身長は165cmほど。ぱっちりお目目に童顔で、利発そうな顔つき。いつも厚手のフェルトのコートを着ている。日本人に見えなくもないが、小顔な体型が中国の少数民族の人っぽくもある。
持ち物は中型のスーツケースとボストンバッグで、それをエレクターのタイヤ付き棚板に載せている。そしてなぜか、A6判くらいで細かい文字びっしりの厚い本を開き、メモ帳に何やら書き写している。
近くに全日本仏教界のビルがあるし、そこを慕って来たけど入れてもらえないチベット人僧侶さまだったりして。そうなるとあの本は経典かな? もしやここは聖人には感知できるパワースポットか? それとも単に、国に帰るお金が無いのかな? などと想像をめぐらせていた。
数カ月前、出勤途中に通りかかると、ものすごく短いシケモクを咥えて、100円ライターで火をつけようとしている彼がいた。これまで、パンを食べているのは何度か見たが、煙草は初めてだ。君子も一服するのかーなどと、なぜか感慨深いものがあった。
飲み会の帰り、夜10時頃に通りかかると、やはり彼はポツンと一人で本を広げ、いつものようにメモ帳に書き写していた。修行僧のような佇まいに惹きつけられ、僕は初めて声をかけてみた。
「いつも熱心ですね。何を読まれているのですか?」
彼は顔をあげ、しかし何も言わずに本に目を戻した。ちらりと合わせた目に、力は感じられなかった。
日本語がわからないのかもしれない。手にした本を見れば国がわかるかな? と、その本の背表紙を覗きこむと、彼はいきなり激高した。
「おまえ、いったいなんなんだよ! おれに何の用だオッサン! えぇっ!?」
えっ、おっさん? あ、うん。そうだな、と妙な気付き。面と向かって他人にオッサンと呼ばれたのは初めてかもしれない。日本語は淀みがないが、成人男性とは思えない、キーキーと甲高い声。それより、やさしそうな外見とのギャップに驚いてしまった。
本はなんと、辞書だった。大人用のコンパクトな国語辞典。彼は辞書をそのまま、メモ帳に書き写していたのだ。
そしていきなりの戦闘モードだ。どうやらヤバイ人らしい。
僕は学生時代から国内外のホームレスウケには自信があった。隠れ家に泊めてくれたり、酒をおごってもらったりしたこともある。しかし、ここまで沸点の低いホームレスさんには一度も会った覚えが無い。
「出て行けよ! 聞いてんのか? 出て行けって言ってんだ!」
激高した彼は、自分のボストンバッグを高々持ち上げると、地面に叩きつけた。
横断歩道の信号待ちをしていた外国人観光客カップルが、怪訝そうな顔でこちらを見ている。特に女性の方は信号が変わってもなかなか動こうとしなかった。
そこは天下の歩道である。なので〝ここから出て行け〟という日本語はおかしい。もしかして彼は方々でその言葉を言われ続けてきたのだろうか。そしてここを自分の場所と決め、守っているつもりなのだろうか。
感情に任せ、ボストンバッグを拾っては投げつけ、ドスドスと蹴りつける。その様をちょっと下がって見ていると、今度は上目遣いで僕を盗み見ながら、ガードレールを何度も蹴って威嚇してきた。
「なんだってんだヨオ! アァ! コラ!」
僧侶でも君子でも、張り込み中の刑事でもないのはわかったが、これはあまりにもガラが悪い。こんなホームレスもいるんだな。
「悪かったね。じゃあ行きますね」と歩きだすと、僕の背中に向かって「出ていけ出て行け2度とくんな!」と甲高い声で言うのだった。
しかしちょうどそのタイミングで信号が赤に変わり、僕は彼から3mのところで青信号を待つことになってしまった。彼は地面に向かい、呪いのお経のように、小声でまだ何かをぶつぶつ言っている。聞きとれなかったが、先ほどと同じことを繰り返し言っているのだろう。
後味はよくないが、とりあえず日本語を話すことと、怒りっぽいことはわかった。
目の前に東京タワー、すぐ後ろがザ・プリンスパークタワー東京。観光客の多い場所で、ちょっと先には幼稚園もある。車通りも歩行者も多い。
一方で、その位置から数歩で公園敷地内だ。中にはベンチもあるのに、なんでわざわざ歩道にいるのかな。俺はてっきり、ひとに声をかけられるのを待ってるのかと思ったよ。
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赤羽橋のホームレス
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