この土日は旅バイクというイベントで、静岡県の富士宮というところに行ってきます。
そんなに大した距離でもないけど、バイクに乗るとき僕は常に、死ぬかもしれないと思いながら走ります。
仮に自分に落ち度がなかったとしても、何があるかなんてわかりません。
心臓止まっちゃった運転手のトラックに突っ込まれるかもしれないし。
おれ、バイクに乗ってますけど、ほんとはクルマの方が好きです。
お金がないからバイクなだけです。もしお金があったら、エアコン付きのスポーツカーに乗りたいです。
身内もみんな、誤解してます。
僕はクルマが好きなんです。
雨が降っても濡れないし、荷物がいっぱい積めるし、細君が寝そうになっていてもひやひやしなくて済むし、いきなり命がなくなることも少ないだろうし。
別に長生きがしたいわけではないんですが、いきなり奪われちゃうのは困るなあと思っている感じです。
まあ、ないもんを言っても空しいだけだから、これ以上は書きません。
自衛官が常にヘルメットの内側に遺書を入れているように、僕はここに遺書を書きます。
みんなありがとうね。
と、ははは。よく考えたら、こんなところで本心書くわけにもいかんよな。
まあとにかく、いつ死ぬかわからんという気持ちで乗ってます。
俺が死んだらたとえば、子どもたちは自由になったりするのかなとか、考えたりもします。
俺は親だから、多少は子らになにか、課しているものがあると思います。
それはたとえば、生活の安定を優先させるという思想だったり、子孫繁栄だったり、悪いことして警察に捕まったら俺が悲しむぞみたいなもんだったり? はは、どの口が言うのかと自分でも思うけど。
ほんとはそれぞれ自分の人生なんだから、好きにやればいいんだろうけど。
犯罪者になろうが、貧乏になろうが、なんだろうが。
でもやっぱ、家族という枷(かせ)があるので、期待に応えようとか、守らなきゃとか、維持しようとか、進もうとか、そういった圧を僕が生きていることでかけているんだろうなと思います。
俺が死んだら、その気持ちは、解放される? 引き締められる? まあ、わかんないけど、なにかを突き付けたり変化を受け入れさせたりしなきゃならなくなるだろうから、やっぱ、急に事故死とかはよくないなと思ってます。
だからバイク歴40年のあらゆる経験を動員して、死なないように努めねばです。
そんな意識を持っていても、死ぬことはあると思うので、もし死んだらごめんなさいと、ここに書き記しておく次第です。