おれ、行かなかったよ。チケットが取れなかったからね。でも、行っておけばよかった。行かなきゃならなかった。
keiko、頑張って来たんだってね。HARRYのLIVE最後に観れてよかったね。
チケットはツアー全部取ったって言ってたから、初日の下北も当然来てるんだろうなと思ってはいたんだけど、会いにいかなかった。
あー、おれってダメだー。今さらだけど。
アタマ悪すぎる。
警告、ピキピキ来てたのにさ。ヒントも予感もいっぱいあったのに、活かせなかった。
大事なことでもなんでも、すぐアタマから抜けてしまう。
脳に深刻な欠陥でもあるんかな。
いや、これは昔からだ。夏休みの宿題、最初の何日かは張り切ってやるんだけど、いつの間にか忘れちゃって、それで8月31日の夜中にやるんだよ。当然、終わらない。
子どもの時からそんなだから、いい加減自覚しなきゃだめだよな。
アタマの隅には宿題があるんだけど、それにふっと空いた時間に宿題のことがよぎるんだけど、先に延ばしてしまう。
バイクと新幹線比べて、たいして差が無いなと確認して、新幹線ならいつでもいけるや、なんて思ってて、病院のストリートビューも何度も見ていて。この3連休も何も予定が無かったけど、細君が新潟だし、末っ子一人置いておくわけにはいかねえよなあと、先延ばしにしてた。
でも、そのときはもう、天に召されていたんだね。
10月28日ってことは、俺が六本木ヒルズに『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』を観に行った翌日だ。HARRYの表情がアップになったとき、keikoのことを思い出していた。こんなの観たら悶絶しちゃうだろうなーって。
2011年3月12日。震災のあと、何年かぶりにkeikoに安否確認の電話をした。かなり怖がっている感じだったけど、声が聞けてよかった。実家の長野県北部地震も、幸い身内には怪我人がいなかったと教えてくれた。
それまでにも、ライブでちょいちょい顔は見ていたけど、なんかみんなと疎遠になっていたし、話しかけにくかった。おれ、サイト独断でやめちゃったしね。
2012年5月末、突然メールが来た。行けなくなった友達のHARRYのチケット2枚、誰か代わりに行ってくれる人がいないかという相談だった。
「俺、当日券のつもりだったから、それなら引き受けるよ」って返信した。もう郵送も間に合わない感じだったから、勤め先に取りに行くことになった。
俺はてっきり彼女は飲食店で働いていると思っていたんだけど、何年も前から渋谷の東急デパートの洋服店に勤めていたという。
店の顧客名簿を見ていたら、うちの奥さんがあったといって喜んでいた。その時は気がつかなかったけど、自分が接客もした客だったんだって。おれは細君がどこで洋服を買ってるのかなんて知らなかったから、へえ、東急デパートだなんて、どっちもいっぱしの大人のようだなーと感心したんだった。
お客さんが来るまで、15分くらい話したかな?
LIVE当日
は顔を見なかった。俺はその晩、ムスメのハタチの誕生日だったので、終演後は速攻で出ちゃった。
東急デパートが閉店して、その後のことは知らなかった。
んで、去年のちょうど今ごろか、『長野に帰ろうと思うので、久しぶりに集まって呑みませんか』という連絡が来た。俺はもちろんOKって答えて、そんで俺が店を選んだ。2012.11.02
だー。
他の人が来られなくなったからと、二人きりで呑むことになっていてびっくり。なんか手土産に安モノのピアスをあげたら、消毒もしないでその場でつけてびっくりした。
どっかのデパ地下の唐揚げ屋で働いているということだった。
病気のことを教えてもらった。2度手術したけど、転移があって、もう手術はできないということだった。ご両親が帰ってきてほしいというので、長野に帰る決心をしたのだとか。
告別式の日に、masamiからメールで知らせをもらっていたんだけど、スパムの方に入っちゃってて、昨日まで気がつかなかった。ごめん。
名前伏せようか、あめんば記事にしようかと迷ったけど、keikoが亡くなったことを知るべき人は他にも多くいると思うので、このまま載せさせていただきます。
keiko、ありがとう。HARRY一途のkeikoと出会えたことを感謝します。
男のファンにはわからない、いろいろ新鮮な想いをきかせてくれて、とても楽しかったです。keikoのこと、一生忘れないよ。
おつかれさまでした。
御冥福をお祈りいたします。