『手に入れたものにゃ慣れっこなのさ
手に入れたものだけじゃ足りないのさ』
HARRYの言いまわし、HARRYだなあと。
WRECKAGE
Where Do I Go
人を絶望へ誘う要因が、回転寿司みたいに目の前に現れ、畳み掛けてくる感じ。
これでもかとこれでもかと、浴びせかけられる。
『思わぬところで嵐に見舞われ
何もかもさらわれそうさ
誰も彼も音を上げるほど
流された分だけ泳いでる』
うーん。
これは人というか、人類の業レベルの話しですな。
子どもの頃に欲しかったもの、持っていなかったものを、今の僕はたくさんもっている。
バイクもあるし、自分の住処もある。
かわいがってやれる女房、子や孫がいる。
食べたいものをいつだって好きなだけ食べられる。
ほぼ毎日、朝方まで映画などの映像コンテンツを楽しめる。
友達には、いつでも好きな時に連絡ができる。
いちいち不安を抱えて、待ち合わせや約束なんてしなくても、ぜんぜん大丈夫。
けど、なんだろうな。
これはおそらく、HARRYのこの歌詞とはまったく関係がないだろうし、レベルがまるで違うと思うけど、持っているものを失うのは、こわいもんがあるってことかな。
だから、それらを手放さなくて済むように、働いてるのかな。
クルマのことを思い出した。
クルマは大好きだし、持っていた時代がなつかしい。だけど、でも、取捨選択で不要だと思えるようになっている。弟が高級車乗り回していても、別にうらやましいとか、負けてるとか思わんしな(笑)
つらいのは、人と比べたときだな。
こんな幸せな自分を感じているのに、人と比べると、世の中は不条理だなとか考えてしまう。
この思考に囚われると、ほんとに苦しくなる。
頑張る気もないけどね。
話しを戻す。
苦しみにしか意識が向かないとき、この詩にはひとつだけ光があることに気が付きたい。
Where Do I Go。
これはたったひとつの、希望の言葉だ。
どんなにつらくても、無意識に「自分にはその先がある」「これが全てではないんだ」という確信を持っているからこそ、「どこへ行こう」って言えるんだと思う。